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400年ぶりの大規模修復

 江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった『唐津城』は、別名・舞鶴城(まいづるじょう)とも称される美しい城です。
 今年は築城400年に当たりますが、本丸の石垣がせり出し、すき間が空くなどの損傷が進んでいます。
 このままでは崩落の危険も有り、来年度から約5年をかけ修復されます。
 
 しかし、400年もの間耐える石垣を人力だけで築き上げた先人達の力には、ただ脱帽するしかありません。

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◎佐賀新聞(2008/01/15)
 唐津城石垣修復へ 予算10億、全国最大規模

 唐津市は新年度から、損傷が進み崩落の危険性が指摘されている唐津城の石垣の修復工事を始める。約5年をかけて本丸の石垣のうち約1200平方メートルを解体して積み直すもので、総事業費は約10億円。城の石垣の修復としては全国でも最大規模となる。今年は築城400年にあたることから、市は「見学会を開くなど、工事の様子を市民に見せる方法を検討したい」と記念事業の一環としてPRにも力を入れる考えだ。

 江戸時代初期に築城された唐津城は、本丸の石垣がせり出し、すき間が空くなどの損傷が進んでいる。専門家は石垣内部に盛られた砂が、長い年月を経て石垣の内側に積まれている石の間に詰まり、雨水が排水されずに石垣を外に押し出した可能性があると指摘する。天守閣は地面を掘って打った16本の基礎杭(くい)で支えられており、石垣にはほとんど重量はかかっていないという。

 市は2005年10月に本丸の東、西、南側の石垣の測量、調査に着手。06年6月には城郭の専門家らによる石垣修復専門委員会を立ち上げ、修復工事の工法などを検討してきた。

 市は同年中にも工事の方向性を決める方針だったが、石垣を解体した場合の耐震性の検討に時間がかかったことで、昨年3月までの3回の専門委員会では結論は出なかった。市は本年度実施した調査をもとに近く耐震性の検討結果をまとめ、2月に予定する4回目の委員会で工事の基本方針を固める方針。

 工事着工は6月ごろの予定で、新年度は工事用の通路の造成などが中心。09年度から始まる本格的な石垣修復作業では、周囲に足場を組んで上から順に解体する。専門委員会の委員を務める高瀬哲郎・県立名護屋城博物館学芸課長は「初めての本格的な石垣修復で、これまで分からなかった本丸の構造の解明にもつながる」と話す。

 唐津城 唐津藩初代藩主・寺沢志摩守広高が1602(慶長7)年から1608(同13)年にかけて築城したとされ、瓦など名護屋城の解体資材を用いたと伝えられる。5層5階地下1階の天守閣は1966年に建築されたが、天守閣は存在していなかったことが確認されている。

【写真】修復する範囲を示すロープが張られた唐津城の石垣=唐津市
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