2600年の時を越えて。
園児や児童は2600年前の縄文の人々と同じ体験をしています。
不思議な感じですよね。
「魏志倭人伝」に現れる「末廬国」は、佐賀県の、ここ唐津を含む松浦半島東側一帯にあったクニだと考えられています。
古代から大陸との交流が多くあった場所で、
菜畑遺跡は唐津市の西南部、JR唐津駅から西へ2km程行ったところです。
昭和55年から56年にかけて行われた発掘調査により、縄文時代前期から弥生時代中期に至る遺跡である事が確認されました。
なかでも縄文時代晩期後半(約2500~2600年前)の水田跡の発掘と、付随して出土した数々の農機具は、我が国稲作の起源が縄文晩期後半まで遡る事を明らかにしたようです。
稲作は弥生時代に開始されたのではなく、縄文時代の末期に既に定着していたんですね。
遺跡からは、多数の炭化した米や石斧、石包丁、石鏃などの石器をはじめ、クワやエブリ(柄振り)その他の農具とともに20~30の水田跡も発見されています。
また稲作のみならず、アワ、ソバ、大豆、麦などの穀物類に加えて、メロン、ゴボウ、クリ、モモなどの果実・根菜類も栽培していた事が判明しているそうです。
中でもメロンが縄文後期に既に栽培されていた事は驚きますね。
さらには平成元年の発掘で、儀式に用いたと思われる形のままの数頭のブタの骨が出土し、既に当時ブタも飼ったようです。
貫頭衣に身を包み、古代赤米などの田植えを体験する園児たち
菜畑遺跡の遺物が展示される末廬館
◎佐賀新聞(2008/06/15)
「稲作発祥の地」菜畑遺跡で田植え
日本稲作発祥の地とされる唐津市の菜畑遺跡末廬館で14日、「田植祭」があった。貫頭衣に身を包んだ市内の園児や児童ら650人が参加し、古代人の稲作に思いをはせながら、古代赤米などを手植えした。
式典では、子どもたちが祭壇に古代米などを奉納し、「古代の人の努力を忘れません」とメッセージを読み上げた。その後、270平方メートルの水田に入り、園児たちは「泥が気持ちいい」「水が冷たい」などと歓声を上げながら田植えを体験した。
同祭は古代人の生活をしのび、遺跡の価値を次世代に伝える目的で開かれ、今回が19回目。唐津南高の1年生が稲の管理をして、10月中旬には収穫祭がある。
菜畑遺跡は1980―81年に本格調査が行われ、水田跡、炭化米、農具が出土。古代人の生活が分かる農業集落としては日本最古(約2600年前・縄文晩期)とされる。
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