唐津市鎮西町名護屋には、国指定特別史跡
『名護屋城跡』があります。勿論「城跡」なので残っているのは石垣などだけです。後年この地域の領主たなった
『寺沢広高』が、
『唐津城』を築城する際に材料として使用したため城は残っていません。
名護屋城跡
唐津城
『名護屋城』は
『豊臣秀吉』が
『文禄・慶長の役』の際に最前線基地とした城です。当時は
『文禄・慶長の役』とは言わず、【唐入り・唐御陣】などの呼称が一般的でした。その字が表す様に、本来は「明(中国)」への遠征が目的でした。
豊臣秀吉
釜山鎮殉節図
『名護屋城』には城はありませんが、敷地内には
『県立名護屋城博物館』が建設され貴重な遺物が所蔵されています。その所蔵物の中に当時の名護屋周辺の様子を描いた、
『肥前名護屋城図屏風 』もあります。
県立名護屋城博物館
肥前名護屋城図屏風
平成19年10月12日(金)~11月25日(日)45日間、博物館では
『特別企画展「秀吉と文禄・慶長の役」』が行われ、5年前に群馬県の個人宅で発見されました屏風の模本が11月6日より展示されます。模本ですが、原本とは相違点もあり当時を解き明かす貴重な史料です。
慶長の役陣立書
朝鮮将帥甲衣
立花所用具足
◎佐賀新聞(2007/11/07)
名護屋城の姿ほうふつと 屏風模本を初公開
県立名護屋城博物館(唐津市鎮西町)で開かれている特別企画展「秀吉と文禄・慶長の役」で6日、展示替えが行われ、5年前に群馬県の個人宅で発見された「肥前名護屋城図屏風(びょうぶ)」(同館所蔵)の模本が県内で初めて公開された。
模本は縦169センチ、横376センチで、大きさや構図は原本とほぼ同じ。人物や建物、雲に金粉を使った描写技法などから、江戸時代後期(18世紀―19世紀前半)に制作されたとみられる。陣を置いた大名の名前が記され、名護屋浦に橋が描かれるなど原本との相違点も見られ、名護屋城を研究する上で貴重な発見となった。
今回の企画展をきっかけに模本の寄託を受けた同館は「2つの屏風がそろったことで、朝鮮出兵当時の名護屋城の様子をより細かく解明できる」と期待する。企画展は25日まで。
【写真】初公開された肥前名護屋城図屏風の模本に見入る来館者=唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館

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